Roonee 247 Photograpy
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〒160-0004 東京都新宿区四谷4-11 みすずビル1F TEL/FAX 03-3341-8118
営業時間 12:00-19:00  最終日16:00閉館 / 月曜日休館



ルーニィの部屋

ギャラリーからのお知らせやおススメ情報などをお伝えします。
2012年2月4日

*エントリーの受付は明日2/5(日)までです!!

クロスロードギャラリー公募写真展「私の青空展 2012」

日時:2012年2月14日(火)〜19日(日)12:00〜20:00(最終日 〜17:00)

場所:クロスロードギャラリー
   東京都新宿区四谷4-28-16吉岡ビル5階
  (最寄り駅 東京メトロ丸ノ内線 四谷3丁目駅より徒歩5分)
   03-3341-8118(ルーニィ)
   四谷4丁目交差点 文房具EMOTOの有るビル5階

ルーニィ恒例の公募写真展「私の青空展」が今年もやってきました。
青空をテーマに制作された作品で、ギャラリーを満たします。

関連行事:オーナーディレクター篠原俊之による作品講評会+ゴザの宴
     2012年2月18日(土)18:00〜20:00

2012年2月4日

私の青空展 2012年作品募集

恒例の青空の写真展 エントリー締切2月5日(日)!!

ルーニィの壁いっぱいに空の写真を並べたいと思います。
空を見る、というのはその人の気分によって様々です。仕事の合間にふと窓の外に広がる空に目がいってしまう人もいれば、一日中ぼーっと空ばかり見ている人、場所も時間も様々です。モチーフは同じでもその人なりの関わり方の違いで、多様な表現が期待できるんじゃないでしょうか。
皆さんなりの空についての想い、付き合い方を写真で表現して参加してください。

ジャズのスタンダードナンバー「MY BLUE HEAVEN」にひっかけて「私の青空」展。楽しい力作お待ちしております。

会期 2012年2月14日(火)〜2月19日(日)
会場:クロスロードギャラリー

<<会期中の関連行事>>
オーナーディレクター/篠原俊之による作品講評会&ゴザの宴会
2月18日(土)18:00〜20:00

プロもアマチュアも関係なく、ご応募いただけ、審査はありません

参加費  1点につき 3500円(DMハガキ30枚つき)
サイズ、 最大A1サイズ迄、額装、パネル、ピン貼り問わずOK
最大ひとり3点迄応募可能

風景の他、「青空」を自由に解釈頂き、ポートレートなど、写真のジャンルは問わない。
フィルムでもデジタルでもオルタナティブ系でも写真なら何でも参加出来ます。

*額装をご希望の方は、マット代とフレーム代が実費となりますが、レンタルフレーム各サイズ¥550にてご使用いただけます。

エントリー締切 2012年2月5日(日)ホームページの申込フォームをご利用下さい。
作品の提出期限等は、エントリー後にお知らせします。

搬入、撤去作業は全てルーニィのスタッフの手で行います。

お問い合わせは メールで承ります。
お申込はこちらから。

2012年1月31日

ポートレイト・ポートレイト
2012年1月31日(火)〜2月5日(日)
12:00〜19:00 最終日〜16:00 
会場:ルーニィ247フォトグラフィー

ootakai
写真を始めた2000年代半ばから一貫して撮り続けているポートレート作品の展示。作品は全てモノクロ。
シリーズ「ピスタチオ」では、被写体を個人として追うのではなく ある集団の中の細部としてとらえ、ひとりひとりを同じように撮影 し淡々と並べることで、集団の中では見えなかったそれぞれの個性 を見つめる。「子ども」や「女子高生」などを被写体にしたシリー ズがあり、それぞれ20点~30点の複数のポートレート を一つにまとめた組写真を7組ほど展示する。その他に、一人一人のポートレート作品も15点ほど展示の予定。

太田カイ 1988年北海道旭川市生まれ 現在東京工芸大学写真学科に研究生として在籍今春修了予定

2012年1月24日

追憶 The Way I Was
ishiguro2012
2012年1月24日(火)〜29日(日)
12:00〜19:00 最終日〜16:00 
会場:ルーニィ247フォトグラフィー

2008年〜2011年にかけて旅してまわったリスボン、ポルト、プラハ、ザグレブ、ヴェネツィア、スプリトの建築都市写真 各都市のアノニマスな建築空間を切り取った写真の展示。モノクロ 26点

2012年1月21日

shoreantediluvian
new orleans/tokyo/berlin

2012年1月24日(火)〜29日(日)
12:00〜20:00 最終日〜17:00 
会場:クロスロードギャラリー

antediluvian: (adjective) from the Latin words meaning “before” and “flood or deluge.”
アンチデルーヴィアン(形容詞):ラテン語の言葉、「前」+「洪水」
これらの写真はほぼ40年におよぶ時間をまたぎ、太陽を追って世界の四分の三をめぐり、最初に写真が現像されたときにはかすかにしか想像しえなかった技術発展を股にかける。この時間の広がり、地理的距離、そして文化的差異を結ぶものは、孤立と不確かさ、迫りくる暗闇、そして将来何が起こるのかという不安、そんな感覚だ。すなわち、アンチデルーヴィアン(洪水の前)。

詩人アーチボルド・マクリーシュは、「あなた、アンドリュー・マーヴェル」という詩を第二次大戦直後に書いた。この詩は太陽と夜の影が地球を進むさまを、西洋文明の栄枯盛衰の比喩として描いている。この詩のなかで、太陽は正午にアメリカの真上にある。マクリーシュはこんな詩行でしめくくっている。

そして、ここ太陽のもとで顔を下に向けると
感じる。いかに速く、いかにひそかに
夜の影がしのびよるかを。

10年後に、写真家ゲーリー・ウィノグランドは次のように書いた。

今までに自分で撮ってきた写真を見ると、われわれとは誰なのか、何を思うのか、この先われわれはどうなるのか、などというのはどうでもよい、と感じさせられる。私たちの望みだの成功だのというのは安っぽく取るに足らぬものだった。新聞、コラム、本などを読み、雑誌もめくってみる(アメリカの)。出ているものは、幻影と空想ばかり。われわれは道に迷ってしまった、爆弾でも落ちてくれればこの仕事も永遠に終わるだろう、と結論するしかない。どうでもいいのだ。われわれは人生というものを愛してはこなかったのだ。

もうひとりのアメリカの写真家トッド・パパジョージは、ヴェトナム戦争とイラク戦争の間にアメリカのムードがいかに変わったかを2007年に説明しようとしている。

 ヴェトナム戦争当時のヒステリックな状況と、今日自分が住む麻酔下にある国との間に実存的関係があることを見定めるのはむずかしい。現代とは、まだ眠気まなこで大統領選に投票している状態でしかないから・・・。われわれは間違いなくプラトンの洞窟に住んでいるのだ。それはスクリーンとモニターに映し出された、二次的、いや三次的経験なのである。

ニューオーリンズ出身の私は、シュールな世界で育った。マルディ・グラの祭とは、カトリック教徒が大斎節に敬虔なる断食をする直前に浮かれ騒ぐ最後のチャンスだ。快楽主義は狂信者を磁力のように引き寄せる。お気楽な連中のなかにあって、地獄に落ちるぞといって脅かすのだから。キリスト教へのかなり寛容でユーモラスな態度をあらわす衣装を見ることも珍しくない。ヒッピー風のキリストが、十字架をエレキ・ギターのように抱えるとか。あの街のほとんどが2005年に洪水に襲われたとき、極右勢力の多くはそれが神の裁きだ、ノアの洪水だなどと言ってはばからなかった。その一方、実際の原因は堤防建築が粗末だったことだ。堕落した政治家と欲深い建築業者の癒着がそうさせたのだ。同じような脅し文句が3月11日以後の日本でも出続けている。

マクリーシュの詩が発表されてから数年のあいだに日本は政治的、社会的、経済的な大変革をとげ、その後二、三十年の間、世界市場に君臨することになった。けれど、いまや日本もその勢いを失った。成功の報いとして創生された社会は、パパジョージが上で語ったアメリカ社会とやけに似ている。そして、世界はグローバル経済の陽をさんさんと浴びる中国に注目を集める。今月、ニューヨーク・タイムズ紙はニューヨーク在住の伊藤裕之の写真付きエッセイを掲載した。伊藤は父親の葬儀のため帰国していて、日本のムードについて感じたことを次のように語っている。

国全体が、いまだ3月の地震と津波を悼んでいるように感じられた。悲痛な空気があたりをおおっていた。私の知っている1980年代の日本は経済的ピークにあり、自信にみちていた。今、これほど長い不況にみまわれて、人々は敗退を受け入れたようだった。日本人を見ながら歩いていると、葬儀の列に加わったような気さえした。

きのう、個展の準備を一休みして、東京都写真美術館に行ってみた。展示されていたのは、80年以上にもわたるヨーロッパ写真の歴史、巨匠たちの作品である。トマス・アナンが撮った昔のグラスゴーの写真をじっと観て、ジュリアが言った――「日付を見て。帝国の最盛期よ」と。私が目にしていたのは、1868年製作の写真、それは「大英帝国に陽が沈むことなし」の時代でありながら、写真が写し取ったものは汚辱と悲惨だけだった。崩れかけた建物、道の真ん中を流れる蓋なしの下水溝。これが帝国の中心だったのだ、小数が大半を所有し、残りを大多数が分け合うというわれらの時代を写す遠い鏡なのだ。私はじっと立ってギャラリーを見わたした。ヨーロッパの地理が目の前にあった。フランス、大英帝国、ドイツ、「当時の工業大国」とチラシは謳っていた。「当時」とは、そんな諸大国最盛期のことで、第一次大戦から第二次大戦勃発直後までの時代のこと。そんな時代のすべて、そしてそれぞれが、今日と酷似する「洪水の前」なのだ。グローバルな金融資本はただ残照を輝かせるだけで、かなたに映るのは闇としか見えない。

この一連の写真を、愛をこめた写真で始め、つづく写真群も同じ精神で展示し、最後はベルリンの舗道で見た子供のかもすイメージで終わる。芸術は闇に立ちはだかるという。そして、この東京のギャラリー、日本でもかなり政治的な写真家たちが活動した場所からさほど遠からぬこの場所で、暗いイメージをいくつもご覧いただき、そこから光が射してくるであろうことを夢想していただきたい。作家のジャネット・ウィンターソンもこんな例をあげて語っている。

われわれは知っている、宇宙に果てがなく、膨張しつつ奇妙にも完璧であることを。そして、われわれの求めるものの何一つ欠けていないことを。だが、そう知ってはいても、人間世界の悲劇的パラダイムとは、欠如、喪失、終局なのであり、技術革新でも医療科学でも撤回されたためしのない幼稚な災厄予言なのである。芸術はこの災厄予言に立ちはだかる。芸術作品(オブジェクツ)は反抗する(オブジェクツ)。ふたつの名詞(アート+オブジェクツ)は動的な力となるのであり、コレクターズ・アイテムなどではない。芸術は反抗するのである。(飯野友幸訳)

クリストファー・ショア、東京、2001年1月21日

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